当山は日蓮宗に属し、十界の大曼荼羅、一塔両尊四士を本尊とする。
開山は大本山本圀寺第十四世蓮光院日助上人の高弟、常在院日住上人である。
上人が正法弘通の行脚の折、 山陽・山陰の要路である因幡街道の中心である山崎に脚を止め、広瀬郷山田村(現在の東鹿沢)の地に当山を建立された。享禄元年(1528)であった。時あたかも戦国末期足利幕府の権威も地に堕ち群雄は割拠し、各地には一揆が頻発した時代であり、 世に有名なポルトガル船の漂着の15年前、天下統一の覇者織田信長誕生の6年前のことである。
享禄元年より延宝8年(1680)の152年間当山の位置は現在の東鹿沢、神姫バス山崎案内所南、天理教山崎分教会辺りにあり、 その地に妙勝寺田、妙勝寺薮と云う名称も史料に残っている。
その後、延宝8年12月16日(第五世本珠院日栄上人代)の大火により類焼の憂目に遭遇したが 災害にも屈せず翌年延宝9年(天和元年:1681)5月現在の地を寺領として賜わり移転再建されている。 第七世恕長院日周上人代(1703-1709)には本堂の改造工事がなされ、第九世湛浄院日浩上人代(1717-1722)には鐘楼堂及び番神堂の建立、 第十世恵運院日厳上人代(1722-1728)には四菩薩尊像を造祀、半鐘、番神前殿も完成され寺運の隆盛を見る。よって上人を中興と尊称する。 第十四世大玄院日孝上人代(1756-1760)には庫裡を新築し、その後各歴代上人により堂宇の増改築が随時行なわれた。 第二十六世要妙院日解上人の発願により明治41年(1908)5月20日(第二十七世円妙院日観上人代)に現在の本堂が竣工する。 両上人を中興と尊称する。第二十八世慈妙院日孝上人代に計画された現在の庫裡が昭和5年(1930)(第二十九世智恬院日照上人代)に完成し今日に至る。